無道寺谷明王堂の不動堂内には、屏風を逆さに立てて行者を囲う。葬式と同じく逆さ屏風である。そして延暦寺の高僧達が周りを取り囲んで見守る中での修行だから、けっして隠れて水分を補給することなども思いもよらない。医学的には、9日間、水も飲まない、眠りもしない、ましてや横にもならない状態では、人間は生きてはゆけないそうで、まさに常人になしえることではない。阿闍梨様にうかがったことがあるが、五感は研ぎ澄まされ、比叡山のふもと坂本の街を走る京阪電車の微かな音まで、大音響で耳に聞こえるそうである。
9日目、行者はいよいよ出堂する。やせこけて本当に骨と皮だけになった姿である。急に水や食べ物を口にしてはいけないそうで、まずはお湯で口をゆすぐことからはじめ、徐々に生還する。
平成4年の秋、私が居候していたころから千日回峰行をはじめておられた、上原行照さんの堂入りが行われた。私はすでに議員秘書、ちょうど経世会竹下派の分裂騒ぎの真っ最中であったが、御前様のお弟子さんの行照さんの堂入りである。なんとしても明王堂へ行って、お不動さんの真言を唱え、無事な出堂を祈らねばと比叡山に赴き、一晩明王堂の外で不動真言を唱えた。翌日はちょうど無事に出堂。そして羽田・小沢派の旗揚げの日である。無事を見届けてから、永田町に戻った。
出堂すれば、「当行満」とよばれ「阿闍梨」と呼ばれる。もはや「行照さん」ではない。「阿闍梨様」である。
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