「大師は弘法にとられ、漬物は沢庵にとられる」
世間で「お大師様」というと、連想するのは「弘法大師」が相場だろう。
大師というのは高徳の僧に対して朝廷から贈られる尊称であり、多くの場合諡号(死後に贈られる)だが、本朝において初めて大師号を贈られたのは、伝教大師最澄の高弟である円仁である(慈覚大師)。私が居候していた赤山禅院は、慈覚大師の遺言によって888年に創建されたお寺。
慈覚大師円仁は、天台密教の創設者である。伝教大師最澄は、中国から法華経を中心とする天台教学を持ち帰ったものの、密教的要素については、弘法大師空海に先を越されていた。最澄は空海に密教経文の借用を申し入れるが断られている。これを補ったのが最澄の弟子であった円仁であり、円仁は中国にわたって密教を学び、天台密教を完成した。その中国旅行記が「入唐求法巡礼行記」、世界三大旅行記の1つである。
慈覚大師は関東・東北地方を巡礼、青森県の恐山や奥州平泉の中尊寺は慈覚大師の開山。京都の夏の風物詩として知られる大文字の送り火も、慈覚大師を偲んで「大」の字を如意が岳に灯したのが始まりとする説もある。五山送り火の船形は、慈覚大師が中国から帰国する際に、暴風雨にあい、南無阿弥陀仏と唱えて嵐がおさまったことから、舟形を灯すようになったといわれている。
大師号は886年に慈覚大師と伝教大師に大師号が贈られたものが本朝初めて。それも慈覚大師に大師号を贈ろうとした際に、師匠の最澄に大師号がなく、併せて贈ったのだと御前様から聞いた。後になって921年に弘法大師にも贈られている。
延暦寺では「大師は弘法にとられ」、という。
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