千日回峰行を達成した行者は、大行満大阿闍梨と呼ばれる。まさに「生き仏」である。
生き仏である御前様(叡南覚照老師)に、「悟りとは何ですか」と聞いたことがある。御前様は、「お前にわかるような悟りに、値打ちがあると思うか」と言われた。叡南俊照大阿闍梨は、たくさんの人から「回峰行をして、お不動様を見ましたか」と聞かれるが、その度ごとに「生かされているということがわかりました。多くの皆さんの御陰さまで、修行を達成できました」と答えておられる。
歴史には興味はあったけれど、仏教に興味があったわけではない。お坊さんというのは葬式の時くらいしか会わないと思っていた。まったくもってひょんなことからではあったけれど、比叡山延暦寺の赤山禅院に居候をすることとなった。生々流転、移り変わりの激しい世の中だけれども、そこには1200年前からの伝統をかたくなに守り続けている世界があった。そして、厳しい修行を通じて、万人の幸福と世界の平和を祈り続けている行者さんたちにお目にかかることができた。厳しい修行をされている行者さんたちの姿に、心を打たれた。
比叡山延暦寺の開祖伝教大師 最澄は、「人のために生きよ」と言われたという。「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」は伝教大師の言葉である。しかし、私のような凡夫は、言葉では理解することができなかった。厳しい修行にひたすら打ち込む行者さんたちを見て、人のために生きることの素晴らしさが何となく分かるようになっていった。そして政治の道を歩むという、破天荒なことを考えるようになっていった。
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