京都延暦寺の赤山禅院に居候させていただいて、ボランティア活動にあけ暮れ、御前様のお話を聞いているうちに、世のため人のために働くということに興味を持つようになった。そして世のため人のために働くということがほんとうに楽しく、めぐりめぐって自分自身のためになるということにも気付きだした。
「多くの人を助けたい、世のため人のために働きたいと思うなら、政治の道へゆけ」と御前様から言われた。「なりたい」とは思ったけれど、「なれる」かどうかなんて全くわからなかった。今思うと無謀も良いところだ。御陰さまで、秘書5年、政党政策スタッフ5年を経て、衆議院議員に当選することができた。
三期目のチャレンジで落選も経験した。雌伏の期間を過ごした。選挙というのは勝つことはもとより、出馬することの方が難しい。出馬しなければ当選しないが、出馬したい人が皆出馬できるわけではないからだ。二世でもなければ官僚出身でもない私が、次の選挙に出馬できる立場であるということだけでも、ありがたいことだと思った。そして今、国政の場で働かしていただいている。
私が12歳の時に死んだ父の戒名には、「叡」の字がある。「お父さんは比叡山になってお前を見守ってくれている」と親戚から言われたものだ。比叡山延暦寺で頂いた、得難いご縁に感謝し、世のため人のために働けることに感謝をして、これからも精進することをお誓いして、駄文を重ねてきたが、一旦筆を置きたいと思う。最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
中塚一宏 拝
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