実は、赤山禅院に居候をして、御前様から仏様の教えを聞いたことは殆どない。
赤山禅院の住職、千日回峰行者の叡南覚照師(御前様)は、常々「統理(とうり)の資質を育てたい」とおっしゃっていた。「統理」とは指導者、リーダーである。
本稿に書き連ねている千日回峰行の有様や比叡山延暦寺の歴史は、自分自身で興味を持って調べたものや、居候をするうちに小増さんから教えてもらったことばかりで、御前様は若者には仏教の話は殆どしなかった。御前様は、直接的な仏様の教えではなく、「人間はいかに生きるべきか」「どうすれば皆が繁栄することができるか」「そのためには政治はどうあるべきか」夜通し話をされた。
来る者も多かったが、去る者も多かった。「統理の資質」は誰もが持てるものではないし、誰もが持つ必要はないと考えておられたのだと思う。その意味では「依怙贔屓」(えこひいき)の天才だった。気に入った若者が大飯を食らうと喜んだし、小遣いをはずんだ。気に入らない者には鼻も引っかけなかった。
一方で、リーダーとしての責任と義務には、とても厳しい方だった。物事の表層だけではなく、実態と根本をよく見極めるよういつもおっしゃっていた。お話はいつも抽象論ではなく、具体論だった。御前様を慕って多くの学生が赤山禅院に集まっていたが、その中でリーダーを決め、様々なボランティア活動を通して、実践でリーダーシップを学んだ。「お前らがやらなきゃ誰がやるんじゃ」と厳しく指導をされた。
例えば祇園放生会(ぎおんほうじょうえ)。千日回峰行の阿闍梨様に祇園新橋にお立ち寄りいただき、鯉の稚魚を放流して、食膳に供される魚介類に感謝するお祭りをし、新しい風物詩を作り出そうと企画したが、実行しようとすれば、鯉の稚魚を誰に寄付してもらうのか、市役所を始めとする関係官庁との打ち合わせをどうするのか、そしてなにより生き物を放流するのだから、鯉を定着させるためには川の美化など付近の住民の協力が無ければならないが、どうやってそれを取り付けるのかとか、いろいろな課題にぶつかる。人との接し方や、ゼロから物事をスタートさせるにはどうすればよいかなどを学ぶことができた。
年金保険料納付記録問題で大活躍をした元厚生労働大臣政務官の山井和則代議士は、私と同じく赤山禅院で御前様の薫陶を受けた居候仲間の先輩である。山井代議士は私より四歳年上、京都大学大学院修了後、松下政経塾へ進み、国会での初当選は同期になり、所属政党も同じになった。今でも時々、暑い暑い京都の夏、御前様に叱咤されながら鯉の放流をしたことを、二人で話したりする。
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