3月11日の発災当初から、福島第一原発はたいへんなことになると感じ、学生時代の恩師にも相談、東京電力の原子力災害対策本部にも行き、自分の考えを伝えてきました。このころから、いろいろな人から「原発村」とか「原子力屋」といういう言葉を耳にしました。
ある学者さん曰く「いろいろな理工の学問分野があるが、国に常勤の委員会があって、大臣待遇の給料がもらえるものはそんなにない。原子力安全委員会がその典型だ」「国策で原発を推進することが決まっているから、研究費も他の分野に比べて沢山つく。大学の研究室のホームページを業者に外注できるのは原子力関係だけだ」。
某原発メーカーのOB技術者。その方は原子核関連ではない博士号をお持ちですが「ウチの会社でも原発関連は社内でさえ部外者にはアンタッチャブルだった」。また別の原発エンジニアの方は「反対運動を警戒するあまり、秘密主義になっていた面は否めない。お山の大将だった」と述懐。
最近ではポピュラーになった「原発村」という言葉ですが、工学関連の学者さんや研究者の間では以前から言われていたこと。私は学生時代、冶金や金属加工などの金属学を専攻していました。今回も発災当初からいろいろな提言をしてきましたが、「金属関係風情が何を言う」という雰囲気は確かにありました。
コメント