心静かに亡くなった人を弔うべきであるはずの8月15日が、たいへん騒がしい日になってしまっていることはまことに残念です。
小泉総理は、「A級戦犯に祈りをささげているのではない」とか「いつ参拝しても同じ」と主張しています。それは小泉総理個人の理屈であって、そこに他人を思いやる心はありません。
「心の問題」といってしまえば、世の中何でも心の問題。自らの立場に対する責任には全く触れていない。「心の問題」は究極の「自分勝手」です。
日本の首相が「心の問題」と言ってしまえば、他国の首脳も「心の問題」と主張することでしょう。これでは建設的な話し合いはできません。
「一つの問題で首脳会談ができないのはおかしい」と総理は言うけれど、相手の国にしてみれば、前向きに対話をする意思があるのかどうかと思うことでしょう。
日本古来の伝統的な文化は「他人を思いやる心」であるはずです。内政でも外交でも片っ端からケンカをふっかけてゆく政治手法は極めて問題が多いし、何も得るところはありません。
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