千日回峰行は密教の要素を内在している。もちろん経典も誦するが、神仏を礼拝するときは、真言が主だ。不動明王の真言は「ナアマクサアマンダバサラナンセンダマアカロシャアナソワタヤウンタラタカンマン」、弁財天の真言は「オンソラソバテイエイソワカ」等々。サンスクリット語が原典らしい。いわゆる「呪文」である。そして祈りを捧げるときには、「印」を結ぶ。「印」とは手、指の形で仏を表したものだ。
一般的に「お経」は漢文であり、白文のものもあれば書き下しになっているものもある。書店に行けば、「お経」解説本も入手することは可能だ。ところが真言となるとその意味は皆目わからない。「印」にしても、指の形、手の形がどのような意味を持っているのかは、まったくもってわからない。呪文なのだから意味などない、と言ってしまえばそれまでだが、密教は師資相承、つまり師匠から特定の弟子にだけ伝えられる法脈なのだ。在家のものに意味などわかるわけはないし、たとえお弟子さんでも「このご真言の意味はなんですか?」などと聞いてしまっては張り倒されて破門になるのがオチだという。密教においては師匠の言うことは絶対的に絶対なのだ。
ある日、御前様が小僧頭(小僧さんの責任者)に、「ダニ退治のヤニダースを買って来い」と指示をした。小僧頭に言われてお使いに出た別の小僧さんは「ヤニダース」なんか売っているわけがないので「ダニアース」を買ってきたのだが、小僧頭は「ヤニダースだって言っただろ」といって譲らない。しょうがないので私が御前様に、「はい、ヤニダースです」と「ダニアース」をお渡ししたのだが、御前様は「おうおう」と受け取っておられた。師匠のいうことが絶対だという、本当にあった笑い話である。
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