叡山はむかしから、 「論湿寒貧」の山とよばれ、宗論が旺盛で湿気が多く、比叡冷えといわれるほど寒い上に、貧乏で有名な山なのだそうだ。その「論湿寒貧」の中から、数多くの仏教指導者が誕生した。法然、親鸞、日蓮、栄西、道元などの各宗派の開祖がこの寺で学んだ。
山門内での修行僧は現在でも、肉魚の類は「なまぐさもの」として食べてはいけないことになっている。また殺生は厳禁である。夏場、蚊がたかって来ても、決して蚊を叩くことはしない。払いのけるだけであった。
そしてその比叡山に、1200年以上続いてきた 「三大地獄」と言われる厳しい修行が脈々と受け継がれている。
看経行(かんきんぎょう)
比叡山三塔の一つ、横川の看経行に入るとき、修行僧は家族と改めて訣別する。 朝から晩まで、明けても暮れても経を読むのが修行。
籠山行(ろうざんぎょう)
開祖伝教大師(最澄)をおまつりしている浄土院では、大師が今も生きているように、洗面・食事など一切を生前と同じようにお仕えする。給仕する役を「侍真」という。広い庭にほこりひとつ残さず掃除を行い、一切の殺生を禁じ、食事は伝教大師にお供えしたお下がりの「一汁一菜」である。世間とは一切隔離されての12年間である。
回峰行(かいほうぎょう)
回峰行は深夜の比叡山三塔十六谷の峰や谷を巡って一千日、不動明王の真言をとなえながら、堂塔や墓所、野仏をはじめ、山中の一木一草にも礼拝して歩き続ける。比叡山の修行の厳しさを最大限に象徴する行(ぎょう)である。そして不眠、不臥、断食、断水の堂入り、赤山苦行や京都大廻りを果たして大行満となる。
私が居候をした赤山禅院は、無動寺谷明王堂とならんで、回峰行の中心となる寺であった。
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