私は12歳のときに父を亡くした。長い闘病の後の突然の死だった。
父の戒名には「叡岳」とある。比叡山のことである。葬儀に参列してくれた父の友人は「君のお父さんは比叡山になった。困ったとき、辛いときは比叡山を仰ぐように」と言ってくれた。
高校生のときには、獣医などに漠然とした憧れを持ったが、先端技術の持つスピード感、また食いっぱぐれのなさから、大学は工学部へ進学することを決めた。現役のときには神戸大学を受験するものの失敗。1浪の後京都大学へ入学した。
大学では高校時代から続けていたロックバンドを本格的に再開。あるイベントの余興でそのロックバンドが出演した際、たまたまその会場に居合わせた延暦寺の大阿闍梨とのご縁ができ、延暦寺赤山禅院に居候をし、そして政治への道を歩むことになったのだから、人生は本当に分からないものである。
その大阿闍梨は叡南覚照(えなみかくしょう)師、父が早逝した私にとって、父親代わりである。天台修験道管領として天台宗の修験道、回峰行の最高位にある方であった。私が始めてお目にかかったときには、千日回峰行も十二年籠山も終えて、赤山禅院の住持として「御前様」という尊称で呼ばれる方であった。
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