赤山禅院は京都市街における回峰行の拠点である。そして比叡山延暦寺内の回峰行の拠点は、無動寺谷明王堂。比叡山の滋賀県側に位置する。大津市坂本からのケーブルカーの終点比叡山上駅を降りて坂を下ったところにある。「三塔十六谷」と言われる比叡山延暦寺のなかでもとりわけ有名なのがこの無動寺谷で、千日回峰行の創始者、慈覚大師円仁の弟子・相応和尚が不動明王を信仰し草庵をむすび修行をし貞観7年(865年)、明王堂を建立した。無動寺谷は回峰行の本拠で弁天堂、明王堂、護摩堂、大乗院などが点在している。本堂の明王堂は、比叡山を代表する荒業で知られる千日回峰行の根本道場であり、本尊は不動明王像、重要文化財に指定されているのだそうだ。その明王堂に輪番として住持されていたのは、叡南覚照師のお弟子さんである、内海俊照(現:叡南俊照)大阿闍梨であった。
実に恥ずかしい話しながら、私は御前様にお目にかかるまで、千日回峰行のことなど何も知らなかった。今も「比叡山で修行されていたのですか」と聞かれることが多いが、決して修行をしていたわけではない。居候である。「門前の小僧、習わぬ経を読む」というが、私は「門内の居候」であった。御前様はとにかく若者を集めて、日本の将来を説き、人の幸せとは何かを、熱心に教えておられた。初めは良く分からないままだったが、なぜか御前様のそばにいると楽しくてしかたがない。御前様の周りには、学生が多く集まっていて、大学に入学して半年もたたないうちに、私は赤山禅院に入りびたりとなっていった。
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