比叡山延暦寺の別院、赤山禅院に居候をしてみて、本当に驚いた。
それまで京都に住んでいながら、比叡山というと「戦国時代、織田信長に焼討ちされた」ということぐらいの知識しかなかった。わがままで傲慢な僧侶がいたイメージ。また平家物語で、白河法皇が我が意の通りにならぬものとして、「加茂川の水、双六の賽、山法師」の3つを挙げているが、この山法師こそが延暦寺の僧侶であり、世俗にまみれていたという悪い印象をもっていたのである。
しかし実際は違った。特に行者の生活は今でも古の戒律を守り続けている。私の父親代わりの叡南覚照(えなみかくしょう)老師は、妻帯をせず独身である。叡南家は、天台修験道、比叡山千日回峰行ではたいへん由緒のある家名だそうだが、その名跡は、自分の弟子の中から養子をとり、代々受け継がれる。私が居候をしていたころの「お山の阿闍梨様」内海俊照大阿闍梨は、平成6年に叡南姓を引き継がれ、名実ともに後継者となった。また叡南覚照老師は、酒を飲まない。また山門内(延暦寺寺領内)では、決して生臭ものは口にせず、殺生も行わない。寺での食事は、菜食のみ。肉や魚はダメ、野菜であってもネギやニンニクなどにおいのきついものは食べない。最高のご馳走は、野菜のテンプラだった。
ある日、赤山禅院にお客様をお迎えして、おもてなしをすることとなり、私もお相伴にあずかることとなった。御前様(叡南老師)が、「今日は湯豆腐だ」とおっしゃる。私は「それはあっさりしていて結構なことですね」と応じたのだが、「うちの湯豆腐はちょっと変っとるんじゃ」と御前様。なんと湯豆腐にテンプラが浮いている。面食らったが、食べてみるとたいへん美味しい。赤山禅院では「行者鍋」といわれていたが、時々いまも自宅でつくってみることがある。
ただし生臭ものは無しの精進料理であるが、私には量の制限は無かった。お寺というと、一汁一菜というイメージがあるが、そこは厳しい修行をされる方々。「もっと食べろ」である。私もどちらかというと食が細い方だったが、「食べない奴は見込みが無い」とばかりの毎日だったため、すっかりと大喰らいになってしまった。
食については、やはり下界(?)が恋しく、いろいろと工夫をした。精進カレーは傑作だった。肉の代わりに、コンニャクと油揚げを下味を付けて炒める。そしてカレーを作る。きっと家で食べても美味しいと思わないだろうけれど、今も懐かしい。
御前様は、酒を飲まず、妻帯もしていない。「わしの唯一の贅沢」とおっしゃっていたのは葉巻だった。といってもそんなに高価ではないドライシガーだが、いつも燻らせておられた。「もう隠居だから」と、普段はジーパンにサングラスで葉巻をくわえるといった茶目っ気たっぷりの格好だった。ただし、頭は一厘刈り。一緒にいるところを見られた私の友人からは、「ヤバイ人?」と聞かれたこともある。
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