私は赤山禅院に居候をしていた。あくまで居候だから、修行をしていたわけではない。
お寺には小僧さんがいる。小僧さんは修行するお坊さんの予備軍といったところだが、年恰好はだいたい私(二十歳前)と同じくらいである。厳しい修行を積んだ大阿闍梨に仕える小僧さんは、これまたたいへんなことで、私のようなのん気な居候とはぜんぜん違っていた。
赤山禅院は、いわば隠居寺である。籠山中に無動寺谷明王堂の輪番を勤める行者を、大阿闍梨と言うわけだが、十二年籠山を終わった大阿闍梨が住まう寺が赤山禅院であった。だから叡南覚照老師のことを「御前様」と呼ぶ。私が居候をしていたとき、私の父親代わりの御前様は六十歳。たいへんに厳しい方で、よく小僧さんは頭をはたかれていた。私も何度か拳骨をくらったことがあるが、修行中はもっと恐かったそうで、鉄扇で頭を叩いていたそうだ。
小僧さんは、御前様のお世話をし、お寺の行事の準備に明け暮れるわけだが、「論湿寒貧」の比叡山延暦寺。小僧さんの中には辛くて逃げ出す人もいた。同世代の私のような居候がいるものだから、余計に娑婆が恋しくなるのだろう。
ある日、小僧さんから、「中塚さん、ちょっと買い物に行ってくるので、納所の番をしていてもらえますか」と言われた。納所とは神社で言うところの社務所にあたる。加持祈祷の受付、お札をお渡しするところだ。「いいですよ」と気軽に引き受けたものの、待てど暮らせど小僧さんは戻ってこない。そのうち御前様から小僧さんを呼び出す電話がかかってきて、事情を説明したところ、「あ、それは逃げたんじゃ」。私のほうがびっくりした。
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