さて小増さんが逃げるといっても、行き先は大体決まっている。小僧さんはそんなにおカネをもっているわけではないからホテルや旅館に泊まることはない。実家に帰っているか、友人の家にいることが多い。だから捜せば見つかるし、捜さなくても、自分でまた戻ってくる小僧さんも多かった。
小僧さんが逃げだすのはよくあることなんだそうで、御前様のほうも慣れたもの。信者さんから、「最近、いつもの小僧さんをお見かけしませんね」と尋ねられると、「いま修学旅行にいっとるんじゃ」と答えていた。私は横で笑いをこらえるのがたいへんだった。一度は逃げ出さないと、一人前(?)のお坊さんにはなれないそうで、今では有名な僧侶も小僧時代には逃げ出したことがあるらしい。
帰ってきた小僧さんに対しては、御前様は余計なことは何も言わず、以前と同じように接しておられた。千日回峰行は、不動明王になるための修行といわれるが、観音様の慈悲が母の愛なら、お不動様の慈悲は父の愛。どんなにしかられても、どんなに辛くても、また御前様に会いたい、そう思わせるのが叡南覚照大阿闍梨だ。
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