九百日を終えると、残りの百日はもとのコースに戻る。最後の百日は、75日を持って終えることにするという。のこりは「一生かけて歩く」とのことだ。
7年の歳月を費やし、その間の幾多の荒行をこなし、一千日の修行を終えると、行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれるようになる。「北嶺」とは比叡山のことである。実に四万キロ。地球一周を歩いたことになる。ただし千日回峰行は終わっても、修行自体は十二年籠山が終わるまで終わったことにはならない。
千日回峰行を満行した大阿闍梨には、一世一代の晴れ舞台がある。土足参内(どそくさんだい)である。これは千日回峰行者にだけ許されるもので、平安時代に慈覚大師の高弟で千日回峰行の創始者、相応和尚が、時の帝の招きに応じて京都御所へ赴き、皇后の病を加持祈祷により癒したことに由来する。千年以上の伝統を受け継ぎ、わらじ履きの行者姿のまま、京都御所に参内することを許されるものだ。天台座主(天台宗のトップ)やあまたの高僧とともに京都御所へ。そして大阿闍梨は小御所に昇殿し、玉体加持つまり天皇陛下への加持祈祷を行う。現代ではもちろん京都御所に陛下はおられないので、陛下の御召しになった衣服や、腕時計等にお加持をするのだと聞いた。
さて、土足参内は晴れの舞台だが、まだまだ厳しい修行は続く。千日回峰行を満行した大行満大阿闍梨は、満行後2、3年のうちに自ら発願して、十万枚大護摩供を行う。七泊八日間の間、断食、断水、不眠、不臥で護摩を焚き続けるという荒行である。大黒様には餅を、弁天様には酒を、お不動様には火をお供えすることになっている。まさに不動明王となるための修行である。
まずは前行として、百日間の五穀塩断ちを行う。五穀とは米・麦・粟・豆・稗であり、これらは口にしない。そして塩分も取らない。それだけでも気の遠くなるような修行だが、どうやらこれには体を慣らす意味合いもあるのだそうだ。
護摩木とは、小さな薪のこと。白木で平べったい形をしており、信者さんはそこに願文を記載する。その願文全てに目を通しながら、阿闍梨様は火炎の中に投じてゆく。護摩木は煩悩、火は知恵なのだそうだ。目の前に立ち上がる護摩壇の立ち昇る火炎のせいで、阿闍梨様の顔の表面温度は50度にもなるといわれる。まさに「火あぶり」である。五日目を過ぎると、瞳孔は開き、歩くのもおぼつかなくなる。
満行された阿闍梨さまは、よく「お不動さんを見ましたか」と聞かれるらしい。厳しい修行を通して分かることは、ただただ「生かされている」ということなのだそうだ。まさに「生き仏」である。
コメント