千日回峰行者は、回峰行を終えても、十二年間は比叡山から降りず、日々の勤行にいそしみ、後進の指導に当たる。これは伝教大師最澄が、時の桓武天皇に、人材育成の熱意をうったえた「天台法華宗年分学生式」(山家学生式:さんげがくしょうしき)、そして「顕戒論」によるものであるという。
「顕戒論」によれば、「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験を得る」とある。伝教大師自身も十九歳の時から十二年間、比叡山に籠もって学問・修行に専念し、一乗止観院(後の根本中堂)を整備した後、法華経の講義を始めたという。
そして、山家学生式にいわく、
「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。故に古人言く、径寸十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、是れすなわち国宝なりと。古哲また云わく、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり。能く行いて言うこと能わざるは国の用なり。能く行い能く言うは国の宝なり。三品の内、ただ言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊と為すと。乃ち道心あるの仏子を、西には菩薩と称し、東には君子と号す。悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。」
最後の一節「忘己利他(もうこりた)」は、恥ずかしながら私の座右の銘である。実際にはなかなかできることではないが、できることではないからこそ、戒めとしている。
叡南俊照大阿闍梨から、「千日回峰行やってみるか?」と言われたことがある。「俗世に未練がありますので」とお断り申し上げたが、比叡山で垣間見た「道心」だけは、いつまでも持ち続けたい、そう思っている。
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