世に「命がけ」という言葉があるけれど、本当に命をかけている様というのには、なかなかお目にかかれない。叡南俊照大阿闍梨も、千日回峰行中に体調不良で歩けなくなったことがあったそうである。その時、叡南覚照老師が無動寺谷を訪れ、臥せっている叡南俊照大阿闍梨の枕を蹴っ飛ばして、「行者は歩くもんじゃ!」と一喝をしたという。叡南俊照大阿闍梨は「あれがあったからこそ満行することができた」と述回されていた。
堂入りを終えた行者には次なる試練が待っている。「赤山苦行」である。これは通常の回峰行に加えて、比叡山の西麓にある赤山禅院までの往復が加わる。赤山禅院に供華を奉ずるためである。約60キロの行程となる。赤山禅院の山門は通常夕方閉ざされるが、「赤山苦行」の際は、深夜に山門を開け放つ。行者さんを迎え入れるためである。
一日60キロの赤山苦行を100日間終えると、今度の100日間は「京都大廻り」である。通常の回峰行に加えて、赤山禅院への奉伺そこから京都市中へ。真如堂-行者橋-八坂神社-清水寺-六波羅密寺-因幡薬師-神泉苑-北野天満宮-西方尼寺-上御霊神社-下鴨神社-河合神社と神と仏を参拝し、清浄華院に宿泊。一日約84キロである。翌日は同じコースを逆に廻って、赤山禅院を経て無動寺谷の明王堂へと戻る。これを100日間続ける。一日84キロの行程をこなすためには、ほとんど寝る時間もない。比叡山中では、まさに走るように歩く。でないと間に合わないからだ。堂入りの次にきつい、といわれている。行者は京都大廻り以外、比叡山の外に出ることは許されない。
京都大廻りの中で、「行者橋」という石造りの細い橋が白川に架かっている。知恩院の近くだが、「行者さんが渡る橋だから」と、今も渡らない人がいるそうだ。
阿闍梨様一行のお通りになる沿道には、信者や市民がひざまずいて出迎える。阿闍梨様から「お数珠」を頂くためである。これは「数珠加持」と言って、阿闍梨様がお数珠を頭、右肩、左肩に当ててくださるのである。
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