京都の北東、比叡山延暦寺は、伝教大師最澄が今から1200年以上前に開山した、鎮護国家の霊場、日本仏教の母山である。伝教大師最澄は、一乗止観院、現在の根本中堂を建立した際、「阿耨多羅(あのくたら)三みやく三菩提(さんぼだい)の仏たち我が立つ杣(そま)に冥加(みやうが)あらせたまへ」と詠んだと伝えられている。
京都の人は、比叡山延暦寺のことを、「お山」「叡山(えいざん)」と呼ぶのが慣わしである。「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡のみ山をぞいふ」(慈円大僧正)。「延暦寺」というお寺はなく、比叡山全体を指して「延暦寺」というのだそうだ。
その比叡山延暦寺の京都側、左京区修学院に赤山禅院(せきざんぜんいん)がある。山門の手前には、夏目漱石の「虞美人草」にある雲母坂(きららざか)が始まっている。延暦寺の塔頭であり、赤山禅院より山門(比叡山延暦寺の内部のこと)となる。
この赤山禅院に、私は20歳から24歳までの学生時代に5年間、ひょんなことから居候をすることになった。赤山禅院のご住職、千日回峰行大行満大阿闍梨、叡南覚照師(御前様)との出会いによって、政治の道を歩むことになった。何度かに分けて、政治を志すことになった原点を振り返ってみたいと思う。
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