昨日、熊本でシンポジウムの前に寸暇をぬって熊本城を見学。
熊本城は加藤清正による名城。そして西南戦争の戦場。熊本城を陥落させることができなかった西郷隆盛は、「官軍と戦っているのではなくて、清正公と戦っている」と言ったとか。熊本城の近くには、西南戦争の激戦地、田原坂があります。今回行くことはできませんでしたが。
支持者の方から南洲翁遺訓を始めとして、西郷隆盛関連の書籍をたくさんいただいています。誠に指導者たる者の心得が書かれていると思う。
その西郷隆盛が、どうして西南戦争を起こしたのか。本当に政府が気に入らなかったのか、手塩にかけた私学校生の騎虎の勢いにおされたのか、それともスジを通すことにこだわったのか。
田原坂を遠くに眺めながら、最近の政局と重ねてふと思いました。
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