平成8年の衆議院総選挙に、新進党は初めてマニフェストを掲げ、政権選択・首相選択の選挙を戦ったのだが、党所属議員の意識、また有権者の意識もまだまだ中選挙区時代のものであった。
所属議員が、「そんな公約を誰が決めた」とか「誰が決めた」といった意見が噴出、新進党のバラバラ感を有権者に与えてしまった感は否めない。中選挙区選挙時代には、政党よりも個人を売り込むのが選挙戦の定石だったのだから無理もないが、このことが小沢氏に対する独断専行感を強めることにもなってしまったのは残念なことだ。
結果、新進党は衆議院総選挙に敗退。党の求心力は急速に低下し、翌年解党することとなった。小沢氏は自由党を結成、その後も一貫して選挙戦では政党としての政策を掲げ、党首を前面に押し立てる手法をとり続ける。私はこの間、自由党の政策面を全面的に担っていた。自由党で衆議院選挙を1回、参議院選挙を2回戦ったが、「消えてなくなる」と言われていた自由党が、選挙のたびごとに存在感を示し、小政党ながら存続することができたのは、小選挙区制度に合致した選挙手法を徹底したからだろうと思う。正に小沢氏のリーダーシップの賜物だった。
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